"さっきamazonのCDランキングを見たが、本当に唖然とした"にバベルの塔を見た気がする
炎上に便乗して自分の意見を・・・。
この文章を書いた人は自分とは違う価値観を持っている人を肯定できないのだなぁと思った。勿体無い。とりあえず自分の意見を書いてみる。
まず、自分はボーカロイドに感情移入する人間である。少し前までは機械の声に感情移入してしまうなんてありえないと思っていたのだが、ボーカロイドの曲を聴いているうちにだんだんと感情移入するようになってきた。なぜ感情移入できてしまうのかを考えてみたところ、自分はボーカロイド自体ではなく、作り手が作り上げた世界に対して感情移入するパターンが多いのではないかと思った。
曲の世界観に一番感情移入できたのが"なっとくP"の"物理屋のサヨナラ"である。
普通の人にとってはギャグでしかないと思うが、ほんのちょこっと学問をかじっている自分にとってはとても共感できる作品である。論文の締め切り間際にこの曲を聴いたときには、そのときの自分と重なって本気で泣いてしまった。こう書くと殆どの方は変人だという風に思われるかもしれないが、似たような事は誰でも経験しているはずである。小説やドラマの中の登場人物に感情移入したりするようなものだ。形はまったく違うが根本的な部分はまったく同じのように思う。重ねて言うが、この場合は自分は作り手が作って伝えようとした世界観に感情移入したのであって、ボーカロイドに感情移入したのではない。
さて、元の記事に戻る。この記事は前提として、歌は歌い手の努力の結晶であるという考え方に基づいているように思える。これはある視点から見ると全くもって正しい。プロは人生全てをかけて作品の制作に取り組んでおり、その姿に感動しない者はいないと思う。
・・・自分で言っていてなんだが、そんな視点もあるんだと思う。だが視点は他にも置きようがある。一つの視点に固定する必要は無いはずだ。
とりあえず、少し前にはやった0ベース思考というのを見直してみるとよいかもしれない。
以下、本家コメント欄にあったコメに対する自分なりの解釈とか注釈とか。
- 初音ミクはあくまで楽器
- ユーザーが作った背景に面白さを感じる
- 女子十二楽坊は歌ってないが売れた
- 調教の難しさを知っていればその技術に感動できる
- 技術の進歩に対しても感動する
- 機械の声に感動していると考えているのは視点がずれている
- 女の子が人形遊びをするときに人形をかわいいと思うのに似ている
- およげたいやきくんは毎日変化の無い辛い思いをしているサラリーマンが脱サラして自由気ままに生きたが、結局は世間の波に飲まれて元のサラリーマンに戻ってしまったと置き換えると理解できる
- 投資をするなら好きな物に投資をしたい
- 努力に対して金を払う価値があると思えるか?
- 理系は詞の意味を考えない事が多い。メロディの流れや雰囲気に良さを感じる場合が多い。
さっきamazonのCDランキングを見たが、本当に唖然とした - http://anond.hatelabo.jp/20090308152436